親について

真相は私にはわからないけれど、私の母のお話

今回は少し重たいトピック、私の母について。この話はきっと私目線と、母目線とではきっと捉え方が違うし、それ以外の周囲の人からも受け取り方が違うと思うので、私が友人から言われたり、自身で思ったことを書いてみようと思う。少しでも私と同じような経験をしている人の助けになれば、と。

金銭感覚のズレ

私は現在かれこれ9年ほど、両親とは会っていない。というのも、金銭感覚がどうにも合わず、社会人になった1年めの冬に家出した。

時系列を巻き戻してみる。

幼少期~高校時代

私は婚外子である。幼少期は祖母と母と暮らした。思えばその頃から母には違和感があった。中学の頃に、現在の父と再婚した(母も今の父も初婚ではない)。高校は公立学校と同じ学費で通える私学に通ったが、修学旅行が海外ということで、その費用は母親に苦労をかけたと思っている(30万くらいしたはず)。

大学時代

進学校からの就職口はあまりなく、学歴をつけて就職するには大学、ということで大学も国公立を目指したが、結果は不合格。自転車で通えて学びたいことが学べる私学を探し、学費はアルバイト代で賄うことを条件に、私学へと進む。
大学時代は奨学金で月8万、私のアルバイト代で10万の収入があり、すべて通帳、カードごと母親に渡していた。


母の言い分としては今まで娘に対してお金をかけて育ててきた分、母親が私からお金を回収するということは、当たり前のことだ、と。私も自身で選んだ道だったから、しっかり4年間で400万以上は稼いでいたと思う。

社会人1年目

社会人になっても、母親から通帳とカードは返ってこなかった。家を使っているだろう、という理由で、当時は手取りで18万くらいは稼いでいたが、自身が使えるお金は月に3万くらいしかなかった。しかし、母は私に生命保険にはいることを勧め、クレジットカードも作るよう勧めた。

銀行口座を別で作って給与を分割しようかとも考えたが、収入が減ったことで分割したことがバレて母が怒ることが目に見えていたためできなかった。クレジットカードと生命保険をお金がないのにどうして作らせたのかが未だにわからない。(奨学金の支払いもスタートしていた。)

お金を管理し始めてわかること

カードを返してほしい、クレジットカードも私名義で作ったし、これからはお金の管理は私がする。家賃代わりに月に10万は母親に直接払うということを夏あたりに母親に伝え、そこから少しずつ貯蓄を始める。

しかし、母親は時たま私に「あとで返すから。」という理由でお金(1万~3万)を求めるようになる。(そして返ってこない)。

冬のボーナスで事件は起こる

お金を貸してほしい、と母が言うようになってから、雲行きが怪しくなってきていると感じた。だから、こっそりと一人暮らし計画を立て始めた。冬のボーナスが入って、もう一ヶ月待てば余裕で一人暮らしをスタートできると計画していた。

が、その冬のボーナスを巡って事件が起きる。全額母親に渡せと言われたのである。当時、30万以上のボーナスが見込めていたものが、一気に0になると知った私は愕然としたと同時に、疑問が湧いた。
どうして毎月10万渡しているのに、ボーナスは全額渡さないといけないのか、意味がわからなかったからである。もちろん知人にも相談し、知人もそれは変だという話に。
このまま家族と生活をしていても永遠にお金が貯まらないのだろうな、と思い、引っ越しの日取りを早めて、家出を決行した。(自転車に乗せられるだけ荷物を乗せて、冬だったこともあり、持っていきたい服を何重にも重ね着し、リュックにもありったけの自身の荷物を詰めてよたよたと歩きながら駅まで向かった)

もちろん、家出後は鬼のように電話やメッセージが来たが、着信拒否をして耐えしのいだ。

大学3年に組んだローン

さて、ここで大学3年のときの話をしようと思う。当時は奨学金を月8万+私のアルバイト代で月に18万あったはずだが(母と父はそれぞれパートで二人合わせて20万、家賃は8-10万くらいだったはず)

大学3年のときに事件は起こる。母いわく「学費が払えない、」と。
大学側もとても融通の効く大学で、年に2回の支払いを4回に分割してくれていて、それで尚且つ払えない状況になっていたのである。

当時母も父も自身の名前でローンが通らない状態になっていた。(理由を聞くとどうして子どもがそんなことを聞くんだと怒って泣きじゃくって話にならず、永久に理由はわからない。)

だから、20歳になっていた私の名義で100万のローンを組んだ。(20歳が1社あたりで借りられる額は一番高額でも60万くらいまでだったため。銀行から2社、さらに、プロ◯ス(今なら思うが、これは…金利的に手を出したらアウトなやつですよねぇ…))から借りた。

一気に100万も借りて(100万で学費は十分賄えている)返済はどうするのかと聞くと、お金がないのは今だけで、来月になったら学費分の支払いはできる、これは本当に一時的なもので、私が休学したりする必要はない、とのこと。母の言葉に猜疑心を抱きつつも、私はローンを組み、支払いは私がすると言った母にローンのカードも預けた。

蓋を開けると恐ろしい話

さて、ではなぜ先ほど、大学時に組んだローンの話をしたのか、というと、家出後に嫌な予感がして、必要な荷物を取りに行くついでに、借金が自分名義の大学時のものも含めて他にもあるのであれば、すべて支払うからカードや通帳を置いておいてほしいと言ったのである。

そして、父母がいない時間に実家に行き、テーブルにあったものを見ると…母名義の借金のカードはなかったものの(きっと実際にはあると思っているけれど)、私のローンはすべて残っていました。そう、100万のまま笑。

ローン履歴を見てみると、それはそれは、自転車操業とはこのような状況を言うのか、と思ったことを今でも覚えている。1万円返済して、その次の瞬間に、9990円借りている(1万丸々借りることはできていなかったはず。金額はうやむやですが、9000円だとか、9990円だとかだった気がします)。

見た瞬間血の気が引いて、この母親は本当に無理だと思った。

その後の話

100万の借金は、金利の高いものから順に、夏のボーナスまでにすべて返済し、ローンカードの凍結も行った。

母親とはその後どうなったかというと、私の心が弱く、着信拒否を解除してしまっていたときに、二度泣きつかれ、10万ずつくらい貸した(もちろん返ってきていない)。

父とはお金の話をしないので、半年に一度か、年に一度程度連絡をとっており、5年ほど前に心筋梗塞で倒れたという話を聞いたときに、心配になって一度実家を訪問した。入院などでお金がかかっただろうと思いその時も30万ほどを渡したが、しばらくしてから考えると、高額療養費制度できっとお金はなんとかなっていたんだろうなと思う。

それを考えると、馬鹿らしくなった。父はお金の管理をすべて母に任せているが、それもそれでどうかと思っている。というわけで、それ以降、母の連絡先は着信拒否のまま、父親にももう連絡を取らないようにしている。

まとめ

この話は全員が悪くて起こった話だと思う。私が野生のカンで、お金のかからない将来(例えば、高校も高等専門学校なら、余裕で通っただろうし、就職も早くして、母がお金狂いにならずに済んだかもしれない)や、危機管理能力を高めていれば解決していたかもしれない。

大谷翔平と、水原通訳の一連のギャンブル話を見ていて、ふと思い出し、とても身近に感じたので、改めて記事にしてみようと思った。

もし同じような体験をしている人がいて、困っているのであれば、この記事がなにかの役にたてば幸いです。

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